世界に一着しか無い陰陽師の装束のお話

「陰陽師」が着用する「装束」。神主が着る装束と基本的には同じものを使っています。装束は陰陽師たちにとって「戦闘服」「作業服」のようなものです。戦闘服と言っても誰かと戦うわけではなく、あらゆるものから自分を「護る」という意味合いで、わかりやすく言うと「サムライの鎧」のような感じです。

今回はこのサイトの写真で実際に着用している「橋本慧が出会った『世界に一着しか無い装束』のお話し」を書きたいと思います。

陰陽師の装束の意味と機能

私たち陰陽師は、お祓いや占術に向かう際は装束を着用します。このサイトで着用している装束は、外で着るためのもので、袴の部分は馬に乗れるように二股(ズボンのように)にわかれています。

また、袴の内部には裾に紐が付いていて、引くことによって長さを調節することができます。そして袖の部分にも紐がついていて、紐を引くことによって左右の袖を絞ることができます。袖を絞る理由は外出の際に、様々な作業をする上で、袖が邪魔にならないようにするためです。

このように、陰陽師の装束は見た目の荘厳さとは裏腹に、機能的に優れた一面も持っているのです。

最近では、ナイロン製の物もあります。ナイロン製の装束は洗濯ができて、大変利用しやすいです。

織物であるか、ナイロンであるか、装束の違いによって私の陰陽道に違いがある訳ではありません。ただ、先ほども申しましたように、装束は陰陽師にとって「鎧」のようなものです。とても難しい事案にぶつかった時や、滅多に無いような大きな行事など「ここでは自分の身も守らなければ」という場面で私が着る装束は、特別な物を用意することにしています。

長沙夫人のミイラの謎

皆さんは「長沙夫人のミイラ」をご存じでしょうか?Googleなどで検索すると動画や画像がたくさん出てくるのですが、私の装束と長沙夫人のミイラにはある繋がりがありますので、少しだけご紹介します。
※ミイラの画像がありますので閲覧したくない方は下記のリンク先は開かないようにして下さい

馬王堆漢墓

とてもミイラとは思えないこのご遺体には内蔵が残っており、その中には最後に食べたと思われる食物まで残っていたそうです。そして、このミイラについては、研究の結果なぜこのような姿で残っていたのか、あらゆる説があります。

  • 棺の中で発見された赤黒い謎の液体が肉の腐敗を防いだ
  • 棺と棺の間にあった副葬品が腐敗する過程で、酸素を必要として、その結果、酸欠となり無菌状態をつくり出したために腐敗しなかった

などですが、いまだに解明の決定打とはなっていないのだそうです。

複雑過ぎる謎の織物を再現した京都の呉服店

やがて様々な研究者が出した仮説の中で

開運のお守り慧袋
  • 「ミイラの上と棺の上にかけられていた布が腐敗を防いだのではないか?」

という説が浮上しました。そこで、中国国内でその布の再現を試みたのです。
しかし、残念ながらその織り方は難解・複雑で、当時の中国国内の技術では再現できませんでした(文化大革命による知識層の喪失が、再現できなかった原因と言われています)。

そこで中国側は、中国からいにしえに日本に伝来した「古代織」をもとにして再現できないかと考え、京都のある老舗呉服店に謎の布の再現を依頼したのです。

その呉服店は、神社の神殿扉の後ろに掛ける垂れ絹の御幌(みとばり)のような織物を手掛けていたのですが、ミイラの上にかけられていた布は、縦糸横糸だけで織られているものではなく、かなり複雑かつ精密で整然としており、再現は困難を極めました。それでも研究に研究を重ねた結果、この呉服店はようやく織り方を再現したのです。

偶然見つけた反物に強烈なインスピレーションを感じて

私が装束を作ってもらう際には、陰陽師としてふさわしい装束を探し求めました。

京都の町をしらみつぶしに歩き、あらゆる神具店・装束店を訪ねましたがどうしても納得できる反物には出会えませんでした。ところが、ある呉服店に入った際に見せて頂いた反物を見た瞬間、強烈なインスピレーションを感じ、選んだのがこの「古代織の布」だったのです。

呉服店の店主は、この古代織のことを、わたしに何の説明もされていませんでした。いくつか出していただいた反物の中に、この古代織が混ざっていた訳です。

私がこの古代織の反物を選んだ際、店主がとても驚いておられました。そして、この呉服店こそが、中国から依頼を受けてミイラの布を再現した呉服店だったのです。

製作期間に1年を費やした装束

そして、この現代に蘇った古代織で装束を作るために、糸を紡ぐところから始まり、水も朝一番の清水を使うなど、製作の際には、細部にまで徹底してこだわり抜いて頂きました。それだけに、当初は完成までにどれだけの時間がかかるかもわかりませんでした。実際に「納期は約束できない」と言われていたほどです。

そして1年がたち、ついに装束が完成しました。普段はあまり着ることが無いので、この装束は特別な許可をもらい、ある場所で保管してもらっています。その場所に保管していることでこの装束は「徹底的に」清められています。このような装束なので、着ているとどこにいても「結界の中心」にいるのと同じ状態になります。実際にこの装束を着用すると、守られているからなのか、睡魔に襲われます(笑)。

冬でも暖かい古代織の高密性

このサイト「慧福路」用の撮影で、この装束を半年ぶりに保管場所から出してもらい着用しました。
撮影日は2016年1月。山の上で撮影したのですが、この日は雪もちらつく寒い一日でした。撮影したスタッフがダウンジャケットを着ていても体が震えている中、装束を着用している私は額に汗がにじむほど暖かかったです。室内でも撮影しましたが、室内だと熱くて熱くて…。この謎の古代織の「密閉性(というのでしょうか?)」にはスタッフも驚いていました。

私も写真で手に持っていますが、「*笏*(しゃく)」というものがあります。皆さまも聖徳太子の肖像などでご覧になったことがあると思います。これは何かと言いますと(諸説ありますが…)高貴な方の前に出る際に、笏を両手でもつことで「武器をもっていない/攻撃する意思が無い」ということをアピールするものなのです。

ということで、今日は私の装束のお話し、陰陽師の装束にどのような意味があるのか、を書いてみました。